2009年11月08日

かけひきは、恋のはじまり

僕が2009年96本目に観た映画は、WOWOWで録画した「かけひきは、恋のはじまり」です。

舞台は禁酒法時代のアメリカ。主人公ドッジは既にスポーツ選手としては高齢の域に達している、プロのアメフト選手。
そんな彼の所属するチームは、他のチームが辿った結末と同様、資金難から解散に追い込まれます。

起死回生のチャンスを模索するドッジ。
そんなある日、大学のフットボール選手のスターであり、戦争の英雄でもあるカーターに目を付けます。

早速カーターと彼のエージェントに会いにいくドッジ。持ち前の口八丁手八丁で、カーターを見事チームに引き込むことに成功します。

一方、カーターが偽物の英雄であるという情報をキャッチする新聞社。
スキャンダルは金になるため、カーターの化けの皮を剥ぐために、敏腕記者レクシーが送りこまれてきます。

カーターの加入で再始動したチームは、ドッジの予想通り、興行収入もうなぎ上り。
たくみな戦術により、カーターは一躍戦争の英雄にして、プロフットボール界の花形選手に昇りつめて行きます。

そんなカーターに計算から近づくレクシー。
そんな彼女が気になるドッジ。
巧みな言葉の応酬で、二人の距離は少しずつ近づいていきますが、カーターもレクシーに好意を寄せ始めます。

そんなある日、戦争の英雄が造られたものであることをレクシーに語るカーター。
目的を達して、暴露記事を書くレクシー。

3人の関係が崩れ始める中、カーターは急遽ライバルチームへの移籍が決まります。

と同時に、スキャンダルに塗れたアメフト界は、新たな会長により、クリーンなスポーツの旗印の元、失地回復に打って出ます。

そんな矢先、ドッジのチームは、早々にカーターのチームと対戦することになり・・

果たしてドッジ、カーター、レクシーの三角関係の行く末は?

ドッジは、アメリカ国民は、クリーンなだけのスポーツに何を思うのか?

アメリカ国民は、なにを拠り所に、なにを是とするのか?

英雄は造られたものではいけないのか?

そしてドッジとレクシーの下す決断は?

といったお話ですね。

 ◆◆

舞台は禁酒法時代のアメリカ・・暗い世相ですが、人々に元気が合って、工夫を凝らしながら懸命に、そして前向きに生きていた時代を描いてますね。
そんな時代だから、法の目を盗んで酒を飲むことと同様、スポーツは数少ない娯楽でストレス発散になるし、例え作り上げられた偽物の英雄でも、国民は夢を見たい・・もっと言えば夢を見ていたい・・そこには本物偽物といった倫理観にも通じることは関係ない。正義は、真実は尊いかもしれないが、常識の範囲内でそこから逸脱することも、生きていくための潤滑油として時には必要といったことを、本作は描いてますね。

で、その描き方といったら、笑っちゃ程ベタ。

映像もそれなりに古き良き時代の雰囲気が出ているとは思いますが、何故か学芸会を見ているかのような違和感がアリアリです。
どうしてだろうと思ったんですが、これは主演の二人、ジョージ・クルーニーとレニー・ゼルウィガーが、劇中の設定年齢には無理があり過ぎて、物語に入り込めない程、浮いちゃってるからだということに気がつきました。

加えて、二人の台詞が、設定年齢にはそぐわないような大人のウィットに富んだ言葉の応酬なんですね。
洒落てはいるんですが、ものすごくミスマッチ。

まぁそういったミスマッチ感覚も含めて、かわいらしい作品とも取れる訳ですが。(笑)

観終わった後に何も残らないような映画ですが、良く言えば一陣のそよ風みたいな作品でしょうかね。

何故本作はライトタッチが似合うのか・・上にも書いたような時代背景と、いつの世も人々は英雄を好むという下敷きをきちんと把握した上で本作を観ると、実は意外と細かいところまで計算された映画だということに気づくかもしれません。
posted by solata at 21:24| Comment(0) | 映画/音楽/スポーツ/TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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